高じた

ラジオ好きが高じて、ポータブルラジオレコーダー購入に至る。
生放送は生で聴く。
生には生で応えねばと思っていたが、体力の限界(ウルフ)
とうとうラジオを録音するという手段を打つことに。
なにやら敗北感もあるが、大人の判断として甘んじて受ける。
さよならライブ感。

姉宅からスイカを、大家さんから桃のお裾分けを頂戴した。
お裾分けの夏、日本の夏。
どちらも立派でとっても甘くて美味しかった。
しかし私には何もお裾分けするものがない。
何か買ってきて渡したら、それはお裾分けではない。お中元だ。
旅行へも行かないので、お土産もない。


お裾分けは、余剰感が必要だ。
そう言えば、グラノーラを買い過ぎて持て余しているんだった。
・・・しかし、こんな敗戦処理余剰感では駄目だ。
これはとっても良いものだが、食べきれないからどうぞどうぞの余剰感でなくては失礼だ。
それにはやはり「旬」が乗っかっているのがいい。
しかし、私には旬を受け取る予定が無い。
ならば、旬を作り出せばいい。
家庭菜園だ!
家庭菜園をして、食べきれない旬な物をお裾分けだ!
だが、私は植物を育てる能力が全く無い。
サボテンを枯らす女だ。
手塩に掛けたサボテンが全く成長せず、花を咲かすことなく根腐れするか、枯らす女だ。
ここは、植物を育てる能力が半端無い姉が育てればいい。
姉が育てた旬な野菜を、私が食べきれない分を姉にお裾分け。
もう意味がわからない。